真彩希帆にみる舞台人と人間と
こんばんは🌠
今日は雪組トップ娘役の真彩希帆さんについてお話ししようかと。
彼女を一個人として認識したのはスカステで流れていた雪の華を歌われてた時。
すごい綺麗な歌声だなあとヒトミミで好きになりました。
ですが、舞台を見て、なんか好きだけど苦手意識が芽生えてしまったのでその理由を分析していこうと思います。
・ダンス歌芝居、三拍子揃った娘役!だけれども…・
そうなんです。
きほちゃんはなにをとっても不得意感が出ないのです。
歌はもちろんのこと、芝居も過去作品を見ると経験値ゆえの歪感はありますが普通にうまい。前娘1の咲妃みゆさんのような自分が主人公になる憑依型ではなく「演じる」のがうまいという芝居のうまさではありますが。
ダンスも歌がフューチャーされすぎてあまり目がいかない事が多いですが、娘役としてとても綺麗に踊られてる印象です。
・だがしかし、ふと感じる違和感・
どなたか一度でも思った事ありますでしょうか?
例えるならば、重箱にこ綺麗にみっちりお米が敷き詰められてるような、彼女に手作り料理を求めたら超短時間でプロ級にうまいフルコースがさらっと出てきてしまったような、できすぎるが故の違和感。
舞台を見ていて苦痛を感じることは全くないですし、華やかさはもう少しあってもいいと思いますが十二分に美しいしスキルもある。
この違和感の正体はなんだろうか。
・正体は、、、闇がない!・
そう、闇がないんです。
こうもりや鈴蘭を見て思ったのですが、人間の暗い部分が一切伝わらないのです。
我が推しも今月のグラフで言ってましたが底抜けに明るいのです。
人間誰しも暗い気持ちになるときあるじゃないですか。
水溜りを踏んだとか、テストでミスしたとか、色々。
そこら辺が舞台外の姿を見ても、舞台上でも全くもって分からない。
嫌な事案全部回避してきました!私明るく健やかに育ちました!真彩希帆です!頑張ります!
みたいなことを目を輝かせて話す姿が目に浮かぶ。
新公のマダムヴォルフはそういう一面を破る意味もあったのでしょうが、なんか演技力と歌唱力で本来の意図に近づけなかった感じが。勿論良いマダムヴォルフでしたが。
私のいう「闇」というのは、人間らしさです。
人間誰しも楽しいこともあれば苦しいこと悲しいこともあります。
そこが、なんか違和感の原因だと思うのです。
「役」の中で悲しみ苦しむ事はあっても、「役を演じてる真彩希帆」の中に悲しみ苦しみが見えないのです。
もしかしたら舞台人としてはそれが良いとされる方も居られるかもしれません。
でも、私はちょっとスキルが劣ってても構わないので、人間味のある人間が好きです。
多分彼女は何見ても底抜けに明るくて輝いていて何もかも及第点以上なんなら優秀な方なので、きっと今後いくら経っても闇の部分を見る事は無いのでしょう。
私は人間は多種多様な人がいるから生息し続けられるという考えの持ち主なので、否定はしませんし、この記事はただ単に違和感を分析しただけなのでクレームは受け付けません。
彼女の歌が上手くいかず苦しい所や芝居に普段の自分が混じる隙やダンスの見苦しさがないのが不思議で仕方ありません。